潔癖症の強迫行為のおかげで

おつかれさまです、強迫性障害主婦の🈂です。

私はハイパー潔癖症なので、めっちゃ不自由な生活をしているわけですが、
今回は悪いことばかりじゃないって話です。

現在は6歳になる子供がひとりいて、幼稚園や保育園などは行っていません。
行っていない理由は、病気を持ち帰ってくることに耐えられなくなったかったから
この話は別の機会にするとして…

驚くことに強迫が悪化して幼稚園を辞めてからというもの、家族全員が誰一人感染症にかかっていないんですよね。
本当に風邪ひとつひきません。

つまり「普通」の生活をしていたら、それだけ汚いものを身体に入れながら生活してるってことになります。

汚い感じがするから無駄にやってしまうのが悩みなら、治療する意味があると思いますが、
ちゃんと除菌だったり汚いものから避けることで防衛できちゃっているのが問題なの。

こう結果がでてくると、感染しないのでホッとするんですが、ますます強迫行為がやめられなくなる。
日々の制限や消毒は鬱だけど、体調崩さないことを最優先と考える私にとって、もう辞められない行為になってしまいました。

よく暴露療法とかいって、わざわざ汚いままで居たりするのが治療になるとか言いますよね?
あれは心底で理解できない。

普通にそういう人間になりたいわけじゃないし、汚いことして「よくできた自分!」って褒めましょうとか、キモすぎでしょ。

そういえばこの前、なんか海外のYouTubeを観たとき、私と全く同じ症状の人がいてなんか嬉しかった

汚いものはどうしたって汚いから、そこはそのまんまでいいでしょ。

言われるがままに治療とかいって消毒や手洗いをやめてみたときに限って、ノロウイルスになるんだよ

そんで余計に悪化するってオチが予想できる

つまり、何が言いたいのかって

病気=ぜんぶ悪で、
悪=全部なおさないといけないみたいな雰囲気じゃん?

あれ間違ってる

悪いことばっか記憶に残るように人間できてるから、病気に対してネガティブになるのは仕方なくて

でも正しいというか良かった部分もあるはずなのよね。そこもちゃんと意識すべきよねーって話でした

私はなにか物事を決断するとき、いつも天秤を思い浮かべます。

「変わる気が無いんなら、お前は潔癖のことでウズウズ言うな、今の生活に満足してるならそのまま社会不適合者で良いだろ」と、そう思うかたもいるかもしれませんね。

回避したいほうのオモリが天秤にかけたときに重すぎるだけで、反対側の天秤にはいつも何も気にせずに過ごしたい・子供を自由にさせてあげられない罪悪感とか、そんなオモリが無数に積み上げられているんです。

感染しなくなったという良い結果は確かにあります。でも
山積みにされた軽いオモリたちを選べない自分に対して、毎回イヤになりながらもなんとか生きている。そんな感じです

ということで今日はおわりです。また次回

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