【子育てと強迫・第7話】幼稚園を辞めてから思うこと

おつかれさまです、強迫性障害主婦の🈂です。

幼稚園を辞めて、ようやく憂鬱さからは開放されたのですが。
その反面、息子がどのように成長するかは”親次第”ということになりました。

これは責任重大だぞってことで、一緒に勉強したり、体験ができるイベントに参加したり、コミュ障の私なりに頑張ってやっていましたよ。

けどね、教育や体験はさせてあげられるけど、他人との接触機会がほとんど無いのよ。
それがめっちゃ悩んだポイントでした。

息子が小学校に通うようになって、人間関係で苦しまないようにしてあげたい

幼稚園を辞めてからしばらくは、息子に対する罪悪感もあって、子どもの遊べる場所(ハワイアンズ・こどもの国・夢の国)など、よく連れて行ってあげました。

もちろん遊ばせるのは怖かったけど、幼稚園にいかせるよりは遥かに安全だったから、普段外で遊べない分、行った時にはたくさん遊ばせてあげました。

テーマパークでこれでもかと遊んだあとは
「帰りたくない、まだ遊びたい」と駄々をこねる息子をみて「楽しかったんだね、良かった良かった…」と思うと同時に感じるのは
普通の子供らしい生活をさせてあげられない罪悪感と、明日から感染していないか怯えながら過ごす数日間の生活。

そんなことを考えちゃうから、私は全く楽しめない。それもツラい

千葉の浦安にあるネズミの国にも行ったけどさ
人間がごった返していてもう無理でした。それにあそこに行く人達の多くは『特別なイベント』だから、
どんだけ体調が悪くてもノリで行く民たちでしょ?

無理です。私には罰ゲームでした。

強迫症の私にとって、春と夏だけが
感染症が落ち着く瞬間だけが人生の希望だったのに

そうこうしているうちに、その年も冬を迎えたころ
毎年恒例の胃腸炎がまた流行りだすと、幼稚園を辞めたことで外出することが無くなり家に引きこもるようになった。

毎日が同じことの繰り返しだけど、とにかく感染してワーワーなることが一切無くなり平和になる。

それにまだその時は「あれもこれもまた春になったらやればいいや」と思っていましたから、当時の私にはまだ春の認識がありました。

息子にも「◯◯は暖かくなったらやろうね、暖かくなったら行こうね」と話していた。本当にそう思っていたのですが

その春は永遠と来ませんでした。

春になっても夏になっても、なにも出来なくなってしまったんです。

そのとき初めて、引きこもって逃げて悪化してしまったのを実感しました。

つい数ヶ月前できていたことが、できない。

気づけばそんなことばかりで、今ではほとんどなにもできなくなってしまいました。

次に待っているのは「小学校入学」

そう、来年からは小学校入学なんですが…
正直、今の自分にはいかせられる気がせんのよ。

けれどもう逃げられない

行かせなければいけない義務教育、(努力)義務教育にしてくれないかな

小学校が始まる時、自分がどうなってしまうかは、正直まだわかりません。

いつかまた色々出来る日がくるのだろうか、未来も見えません。

幼稚園に入って辞めるまでのたった2年間で、こんなにも人生が変わってしまったなんて

今のところ悪化の一途をたどっています。

ということで今日はおわりです。また次回

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